三韓征伐って実際にあったの?

 
1 名も無き虎(10/01/01(金)19:34 ID:Vz9cXULec) 
ねえ?
三韓征伐って実際にあったの?画像
 | 全コメント表示 | ×閉じる | 
40 匿名 (10/12/15(水)00:25:31 ID:YrRBRaMyY) 
>>39
違う、問題は邪馬台国という外国の文献における表記が何を意味しているかであって
当時の大和朝廷の勢力範囲から推察すれば(祭祀の変遷によってこれを見ることが出来る)
九州蛮族の大和王朝僭称説も根拠は弱くないが、しかし断定は出来ない
段階的に順次発展してきた古代日本の国家がお前の言うように途中変わっていると主張すべき根拠もない
陵墓に関して、発掘がなければ文献史料の根拠があっても一切否定すべきとは、一体どういうことだ?
お前は全く知らないようだが、治定関係者の文献吟味・実地調査を笑殺出来る根拠があるのか
文献と考古のどちらかをあまりに偏重してもう一方の成果を黙殺するのは道理に合わない
何故、邪馬台を敢えてヤマタイと読むかと言えば、正体の未だ知れぬあやふやなものだからだ
当時日本人は自己の国家をヤマトと呼び、首都である奈良もヤマトと呼んだ
これは九州の山門に由来するのかも知れないが…
外国語の文献であるから、当然日本語は漢訳されている
漢籍ではあらゆる記述が漢文になっているが、当時の日本人が漢語で過ごしていたとでも思うのか?
お前の言う様にヤマト国が奈良のことなら、邪馬台国とは奈良のことを漢訳したものだろう
後漢書東夷伝も魏志東夷伝も結構だが、記紀その他の史料により否定的に見ざるを得ない部分は既に相当多い
漢籍により「東方の蛮人は総じて斯くあるべし」という思い込みにより画一化されている部分もまた多い
それらの記述は非常に役には立つが必ずしも当てにならず、今日に至るも前述の様にジレンマとなっている
リアルタイムに外国人が善い加減に書いたものと、後代に事情をよく知る日本人が編纂したものと…
しかし日本語で記述できる部分をわざと外国語にする理由は、一定の不合理な目的を察せざるを得ない
41 匿名 (10/12/15(水)00:31:06 ID:YrRBRaMyY) 
追伸、ヤマトとは弥目当だったか何だったかを由来とする説もあり
いずれにせよ、漢籍史料では「台」字を「ト」音に当てて漢訳している例もある
42 匿名 (10/12/16(木)19:15:53 ID:oVrnk1.I.) 
だ〜か〜ら〜、それが通るんなら、「やまたいこく」なんて言わないんだよ。
「推察」なんてのは、「推定」の言い換えでしかないだろう。

邪馬台国は女王国で、大和朝廷は、男系以外認めないし、卑弥呼や台与を天皇だと宮内庁が認めても居ない。
全部、轢死専攻の君の願望に過ぎない。
文献って言ったって、時代が重要なんだがね。
数百年後の文献が、発掘に優るとでも思ってるのか?
文字が無かった時代の史料は、発掘が基本だろう。
大体、今も続く家の墓とか言ってるが、祭祀も管理も数百年放棄したようなモノは、遺跡に過ぎないね。
江戸時代の将軍家の墓だって発掘があったと思うが、天皇家を特別扱いし過ぎだ。
古墳に関しては、朽ち果てる前に遺跡として発掘するのが、この国の古代史の解明には不可欠。
歴史学を研究する人間ならば、宮内庁に対して不満が無いとは妙だね?



43 匿名 (10/12/17(金)02:07:19 ID:w6L.DRKHg) 
邪馬台国と日本は全く別の国。邪馬台国は朝鮮と同じで中国の属国。
邪馬台国というのは日本の歴史書には一切出てこない。
中国の書物「魏志倭人伝」に出てくる国。

もし、邪馬台国が日本の基礎ならば、歴史書にそう書く。
邪馬台国は中国と外交をした国だ。
日本の歴史書にはそれに関するような記述が一切ない。

そして決定的な事実として、本当に邪馬台国が日本ならば、
日本天皇として中国と渡り合った「日出る所の天子」の時、
中国側は属国として対応しなければおかしい。
邪馬台国は属国なのだから、中国からすれば
“かつての属国がまた朝貢しに来た”みたいな対応でなければ辻褄が合わない。
以上を鑑みればどうしても別の国と見さるを得ない。
44 匿名 (10/12/17(金)02:36:20 ID:4cxURDv9w) 
>>42
邪馬台国という女王国が存在したという学説自体が推定だと言っているだろ
何が願望なのか知らないが、位置の記述も曖昧模糊、そもそも卑弥呼なる人物の正体が明らかでない
精々「姫巫女」の音訳か何かだとは思うが、果たして豊鍬入姫命のことか、神宮皇后を指すのか…
本来は教科書に載せられるくらいの大きな扱いに出来る程、卑弥呼なる名の正体は分かっていない
「やまたいこく」というのも当座の仮説の範を出ていない
実際にそんな名前の国があったと思うのなら、論争はもっと単純になる
当時の漢籍は非常に役にも立つし大いに参考にすべきだが、当てにならない部分の割合も頗る甚大だ
我国文献超絶軽視のお前が歴史学を知っているとは到底思えない
そもそも治定されて既に祭祀が再興された陵墓の何が遺跡だ馬鹿じゃないのか
例えば石上神宮の神域を発掘すれば、これまでの歴史の通説も大幅に覆されるだろう
だがそんな馬鹿なことを実際にやろうと言うのは最早人間社会に生きる者じゃない
「医学の進歩の為になるのに法輪功信者の臓器摘出を批判するとは妙だね?」
とかそういう唯物主義者の構えかね君は
そんなに一線を超えて研究したいのなら、先祖代々守ってきた日本人が全て根絶されてからするんだな
歴史学をなめるなよお前
45 匿名 (10/12/17(金)03:06:43 ID:w6L.DRKHg) 
邪馬台国が存在していたとしても、していなかったとしても、
大和朝廷(日本国)とは何の関わりもない。
なので天皇とか皇后とかとは全く縁の無い話である。

中国の歴史書に出てくる「日本からきた国(王)」と、
かつて日本列島に存在したとされる記述が古文書にあるから教育している。

前述したように、「邪馬台国なんて国は存在せず、それは実は大和朝廷のことだ」
とするのは無理がある。邪馬台国は中国で冊封されているので、
それから何度出向いても属国の待遇を受ける。
「日出る所の天子」の時、かつての邪馬台国の継続的な待遇や
そのかつての中国との外交が日本の歴史書に記載されてないと明らかに矛盾する。
46 匿名 (10/12/17(金)04:21:13 ID:J42H.86d2) 
いや、だから「日出る所の天子」の時代はまだ日本の国号を使用していないのだから
倭国として渡っているのだが。随が怒ったのも属国として見なしていたからだろ。

まったく矛盾してないどころか大和朝廷は倭国の末裔を自ら名乗っているのだが。
47 匿名 (10/12/17(金)04:26:34 ID:4cxURDv9w) 
>>46
「日出処」と書いて「やまと」と雅訓を用いた説もある
まあ>>45の説の妥当性はまた別問題だが
倭国にしろ日出処にしろ大和にしろ日本にしろ、字が一定でないだけで同じヤマトという訳だ
48 匿名 (10/12/17(金)05:00:21 ID:w6L.DRKHg) 
>いや、だから「日出る所の天子」の時代はまだ
「日出る所の天子」は大和朝廷と中国の外交での出来事。
「倭」というのは日本列島みたいなもので、その中の政権の違いで名称は変わらない。
随が怒ったのは属国として見ていたからではなく、中国からしたら
天子は世界に自国に1人しかいないのだから、「東の天子が西の天子にこんにちは」は
失礼だとして対応しただけのこと。「昔冊封した邪馬台国が今度は…」という反応ではない。
大和朝廷は邪馬台国の末裔を名乗っていない。
現に、日本の歴史書に魏志倭人伝の邪馬台国と想定できるような外交をした跡が一切ない。
内容が違うどころではなく、内容そのものが存在しない。

つまり、清も元も中華民国も中国共産党も日本が「中国」と呼んでるように、
古来中国は大和も邪馬台国も日本列島(倭)から来たから「倭国」にしてるだけで、
魏志倭人伝と「日出る所の天子」を比べるに、まったく継続性のない政権であることが
中国側の表記で窺える。少なくとも邪馬台国を大和朝廷とするには
大和朝廷の歴史書である記紀に、魏志倭人伝の邪馬台国の歴史が
鑑みれる文言が少しでもないとそれを主張するのは極めて難しい。
邪馬台国の存在は魏志倭人伝という外国書物にしか登場しないので、
その外国書物と、大和朝廷の歴史書を比べて似てる部分を探す以外方法がない。

例えば、中国との外交は両方ともあり、中国側(魏志倭人伝で邪馬台国と記述されたものに)が
「日本は属国になった」とし、日本側(記紀)が「中国と外交して相手から土産をぶんどって
やった」とあるならば、恐らく邪馬台国=大和朝廷であると考えられる。
しかし、記紀にはそれに相当する記述が一切ない。中国という大国と外交したのに、
記述がないというのは明らかに不自然であり、朝鮮の書物を見れば明らかである。
属国になったことを堂々と誇らしげに記述している。
49 匿名 (10/12/17(金)15:30:49 ID:J42H.86d2) 
>大和朝廷は邪馬台国の末裔を名乗っていない。

邪馬台国は連合国家である倭国を構成する国の一つで少なくともある時代には倭国の中心的な役割を果たした国。
UAEでいえばアブダビみたいなものだろう。
大和朝廷が倭国を名乗るということは、少なくとも倭国の継承国家であることを自称している。


>邪馬台国の存在は魏志倭人伝という外国書物にしか登場しない

邪馬台国の記述が存在しないと言いたいようだが、日本書紀は随すら唐と書き換えてしまっているので、
過去の名称はすべて書かれた時代の名称に変更されている可能性がきわめて高い。


>日本の歴史書に魏志倭人伝の邪馬台国と想定できるような外交をした跡が一切ない。
>内容が違うどころではなく、内容そのものが存在しない。

>中国という大国と外交したのに、
>記述がないというのは明らかに不自然

そもそも日本書紀には第一回遣隋使も表記がなく、「日出る所の天子」以前の過去の朝貢の記録はない。
正史であることを鑑みればわざと表記されなかった可能性が高い。


>外国書物と、大和朝廷の歴史書を比べて似てる部分を探す以外方法がない。
考古学の成果もあわせて見る必要がある。例えば纒向遺跡は外国書物と一致する部分が多い。
50 匿名 (10/12/17(金)16:41:13 ID:w6L.DRKHg) 
>邪馬台国は連合国家である倭国
全然違う。大和統一をなしたのは大和朝廷は最初で、
邪馬台国は地方に点在した数ある集落の一つに過ぎない。
前述したように、邪馬台国も大和朝廷も中国が「倭国」と読んでるだけで、
大和朝廷が中国の属国である邪馬台国を継承したわけじゃない。
事実、大和朝廷の歴史書に卑弥呼や台与なる女王やその行動の記述がない。
>邪馬台国の記述が存在しないと言いたいようだが
全然違う。「邪馬台国」なるものの存在を記すものが魏志倭人伝しかないということ。
その外国書物になる「邪馬台国」が「大和朝廷」だとするならば、
「大和朝廷」の歴史書に、外国書物にあった「邪馬台国」との類似点がなければ
同じと鑑みることができない。名称の変更だけならば、行動まで削除されることはない。
邪馬台国は女王として冊封されているのだから。金印貰ってるんだから。何も記述がないのはおかしい。

>そもそも日本書紀には第一回遣隋使も表記がなく
だからそれは前述したとおり、隋と唐の違いはあるものの、遣使の行動は変わらない。
それこそ名称の違いであって行動事態がないと言えるものではない。
>「日出る所の天子」以前の過去の朝貢の記録はない。
だから行ってないんだってば。朝貢してない証拠。初めて中国と渡り合ったのが「日出る所の天子」。
その証拠に「日出る所の天子」ってのは自国(大和朝廷)の紹介なんだから。
前に属国になった邪馬台国ならそんな紹介いらないでしょ。
>考古学の成果もあわせて見る必要がある
それは意味ないね。何度も言うけど、「邪馬台国」は魏志倭人伝にしか出てこない。
それが一つの国で、その後大和朝廷に滅ぼされるなり併合されるなりすれば
全て辻褄が合うんだけど、「大和の基礎だ」となるとその大和の歴史書との類似点を探す以外方法がない。
邪馬台国の歴史書でも見つけないかぎりね。
51 匿名 (10/12/17(金)17:46:05 ID:J42H.86d2) 
重大な事実誤認があるから指摘しておく。

大和朝廷が随に対して倭国を名乗ったのは、すくなくとも我が国に過去に存在した政権が
倭国として認識されていることを知っていたということだ。
そうでなければ全く別な何かを名乗るはず。
だから国内的にはどうあれ随に対しては、継承政権であることを示している。


日本書紀には600年の第一回遣隋使の記述がない。
これが「日出る所の天子」以前の過去の朝貢が記録されていない傍証になる。
>「日出る所の天子」ってのは自国(大和朝廷)の紹介
つまりこれ以降を独立国家としての歴史としたいという日本書紀の意思の現れだろう。


>大和朝廷に滅ぼされるなり併合されるなりすれば
>全て辻褄が合う
>「大和の基礎だ」となる

記録はないわけだから、いずれにしてもすべてつじつまは合うじゃないか。

文献至上主義で考古学を無視したいようだけど、正史というのは政権によって
編まれたものである限りバイアスがかかっており必ずしも事実を反映していない。
52 匿名 (10/12/18(土)01:44:17 ID:AbylGclv.) 
>大和朝廷が随に対して倭国を名乗ったのは
「倭国」というのは国名というよりはアジア諸国が日本列島に存在する勢力を
一律に呼んだもので、大和の統一に成功した大和朝廷もそれは知っている。
いわば大和朝廷や邪馬台国が国名なら倭国はアジアや地球と言った概念だろう。
実際に魏志倭人伝を見れば分かるが、そもそも「倭国は百余国に分裂している」とあり、
「不弥国の南に邪馬台国」があるとしている。

三韓征伐は「日出る所の天子」以前なので、朝鮮との外交で使うだろう。
そして、大和朝廷というのは諸集落の連合体なので、それでも知らないということはない。
もし、継承政権であるならば、冊封されているということで、「日出る所の天子」などとは
書かない。繰り返しになるが、継承しているなら属国として外交するし、
自国の歴史書に邪馬台国時代の外交を記す。

>日本書紀には600年の第一回遣隋使の
前述したとおり、隋と唐の違いはあるものの、遣使の行動は変わらない。
>これが「日出る所の天子」以前の過去の朝貢が
それ以前は大和朝廷として、中国と外交していないということだ。
>つまりこれ以降を独立国家としての
というよりも、実際数ある集落(政治勢力)の中で中国との外交をしていなかった
大和朝廷勢力が力を伸ばし、中国と外交もしてた国々を滅ぼして(或いは併合)ある程度
地盤を固めて晴れて中国と外交に望んだというのが妥当な見解でしょうね。
>記録はないわけだから、いずれにしても
それは違う。邪馬台国と大和朝廷が同じだとすると辻褄は合わない。
大和朝廷の歴史書に邪馬台国がやった行動はなく、かすってもいなく、
大和朝廷の中国に対する姿勢は邪馬台国が再び来たというものではない。

>文献至上主義で考古学を無視したいようだけど
何度も記述したけど、「邪馬台国」なるものは「魏志倭人伝」にしか存在していないので、
それの記述と他の記述を比べる以外に方法が存在しない。
文献に間違いや嘘はあっても行動そのものが存在しないということはない。
53 匿名 (10/12/18(土)02:24:34 ID:AbylGclv.) 
実際邪馬台国が日本列島(倭国)の中で大国(強い勢力・集落)だったのは事実だ。
中国と外交するぐらいだから。恐らくその外交をした当時は日本列島の中で
一番だったかもしれない。しかし確実に言えることは、今その国は存在していないということ。
魏志倭人伝に出てくるような外交をしたという歴史がある国が存在していないということだ。
そして、その邪馬台国があったとされる日本列島は、大和朝廷が支配しているということ。
つまり、追い出されたか滅ぼされたか併合されたかのいずれかということだ。

邪馬台国の後の「倭の5王」とあるように、日本列島内で勢力争いがあったと見られる。
三韓征伐、任那日本府があるように、大和朝廷は朝鮮と外交していた。
朝鮮からの鉄輸入で強国化し、邪馬台国を含む諸国を消していったというのが妥当な見解だろう。
なので卑弥呼や台与などの女王の存在は、大和朝廷の歴史書には見られないのだ。
ただし、私も大和朝廷がなぜ中国に服従しなかったのか不思議だと思う。
今でこそ属国は聞こえが悪いが、当時中華思想の中では煌びやかな地位だ。
「東の天子」と喧嘩吹っかけて何の得があったのかと思える。

余談になるが、隋書にあり日本書紀にない「第1回遣隋使」では、
日本は問いをしたのであり、国書を渡していない。恐らく日本側からすれば
正式な「第1回」は国書を持参した時のものであり、それ以前は派遣のための調査訪問という見方がある。
54 匿名 (10/12/22(水)00:38:10 ID:RQNidbPKc) 
>ただし、私も大和朝廷がなぜ中国に服従しなかったのか不思議だと思う。
簡単な話、中国が混乱していたとかの事情でしょ。
白村江の戦い以降は、中国は敵だしね。
それ以前も、緊張関係にあったろうよ。

朝鮮と外交するのも当然で、大陸との通商に朝鮮半島経由するのは基本だと思われる。
ここを経由しないルートの需要は、朝鮮が敵性国家になった場合ぐらいだろうね。

ついでに言うと、鉄を輸入出来ない勢力は、戦争に勝てない。
鉄が国産されるようになるのは古墳時代頃だし、武器としての品質を備えるようになったのは、もっと後だろう。


55 匿名 (10/12/22(水)01:23:31 ID:RerktOg5I) 
宋書倭国伝・・・・・・・・・・・・朝鮮半島は倭の支配が及んでるとも書いてる

満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。

三国史記「新羅本記」・・・・慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
              新羅は何回も王子を人質に差し出している。
              百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。

日本書紀・・・・・・・・・・「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」

宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。


随書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
              百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
56 匿名 (10/12/22(水)02:05:17 ID:ooSNY9n4s) 
>>54
白村江の戦いは「日出づる所の天子」よりずっと後の話だよ。
「それ以前の緊張関係」と言っても、中国に服従しても何の問題もないんだよ。
当時回りは中国に服従してる奴らばかりなんだから。

属国になれば非属国との戦いでは中国が加勢しに来るし、
定例の朝貢貿易では非属国の朝貢貿易同様、持って行ったものより良いものがもらえる。
属国のデメリットと言えば、暦を中国のものとしたり、「中国の外臣(王)」と名乗るなどの
面子の問題みたいなものだろう。これは今風の面子だ。
当時の朝鮮を見れば分かるとおり、属国であることを誇りに思っている。
それで朝鮮は日本を「化外の地」と馬鹿にしているのだ。

鉄の話は私の推測と同じでしょうな。邪馬台国が強かったけど、
朝鮮と結託した大和朝廷は鉄を持ち、邪馬台国を倒すなりして日本を統一していったのだろう。
日本が仲良かった朝鮮というのは百済で、百済は後に日本に亡命するので、
現在で言えば百済は朝鮮というよりは日本。白村江の戦い以降は新羅・高麗と
別(敵)の勢力が朝鮮を掌握するので、実は今の朝鮮と古来に友好的な時期はないんだね。
57 匿名 (10/12/24(金)19:42:20 ID:iPk7UksnU) 
>>56
いや俺は、微妙に問題があった筈だと思ってる。
朝鮮が分裂していて、中国が内一つを朝鮮として公認するとする、すると他は後ろ盾とすべく、日本に接近するだろう。
朝鮮は中国の属国だが、朝鮮人は中国人ではない。
右と左が争うような事態も、あったと思っていいだろう。
現在の朝鮮も分裂しているが、両方が米国の属国でないのと同じだろうね。

それに、中国と朝鮮の価値は月とスッポンほど違うが、日本にとっての価値はどうかという問題がある。
直接貿易航路が未開発で、難解な外交手続きを要求される中国貿易と、馴染みの取引先の朝鮮とで、果たしてどちらを取るか微妙な所。
中国に服属して馴染みの取引先を切るってのも、正直、姻戚関係とかあるとどうかな。

鉄の話も微妙に違う。
邪馬台国の正体は知らないが、轢死好きの彼が言うように、大和そのものである可能性もある。
ただ、大和朝廷が全国を統一するには、朝鮮から鉄を輸入し、出来れば独占する事が望ましい。
多分だが、朝鮮と結託したと言うよりは、朝鮮の勢力が渡来し、本国の勢力が衰退したんじゃないかと思ってる。
百済は日本を侵略しなかったが、大和はしたって事だな。
あと、百済と新羅は地理的に見て、同じ民族が分裂した政権だと思う。



58 匿名 (10/12/25(土)00:55:25 ID:DNz8bLs.o) 
>>53
巍と隋は支配民族が違うでしょ。隋は鮮卑族の国。倭の5王って群雄割拠してたって意味じゃないでしょ。
そもそもこの頃の邪馬台国ブームは纒向で大型建物跡が発掘されて畿内説の可能性が高まったことになったのが発端でしょ。
鉄は中国地方にも砂鉄鉱がある。最初の技術者が百済から渡来してきたのは事実だろうがその後は日本独自の進化だろう。
淡路島の垣内遺跡が兵器工場で瀬戸内海東部の勢力が何らかの理由で結束してできた勢力が大和朝廷だろ。
そもそも画像にあるようにこんな狭い領域で王朝交替説も何もあるもんじゃない
三韓征伐って実際にあったの?画像58
59 匿名 (10/12/25(土)02:20:38 ID:q.TPGvyNc) 
たたら製鉄が朝鮮には無かったから
朝鮮からは単に鉄を搾取してただけで製鉄技術は南方系なんじゃないかなぁ
60 匿名 (10/12/25(土)03:49:22 ID:D6Z7jmpOY) 
>>57
主張内容はそうと思えるけど、「朝鮮として公認」というのは寵愛ということだね。
中国からして「朝鮮」「倭」というのは地域名であって国名じゃない。
朝鮮に乱立した国々が競って中国に冊封され、貢物をして優位に立とうとしていた。
百済も見放されていたとは言え中国の属国だ。そして半島情勢は日本には関係ない。
こうして分かるとおり、朝鮮半島では競って「属国1番」をほしがった。この世界で
日本がその属国競争に加わらないどころか逆に対立するような行為で何のメリットだったか
という話だ。それと、現在の分裂はそもそも北はソ連、南は米国が作った政府だからだ。
中国に服属して馴染みの取引先を切るというのも分からない話。
むしろ中華思想下において属国ならば朝鮮と対等な関係になる。
日本は属国でなく「化外の地」だったから朝鮮は「俺は属国だから俺のほうが偉い」と
大きな顔をして外交に望んだのだ。

>大和そのものである可能性もある
ない。何度も言うけど矛盾が多すぎて現在ではありえない。
それに、朝鮮は属国競争をしているので、一つの勢力が「倭」を征服したら、文書に残る。
邪馬台国が最初強く、中国と外交していたが、百済と結託した大和朝廷が
鉄を輸入して強国化して邪馬台国を追い出すなり消すなり併合するなりして
いないと辻褄が合わない。「鉄の話が同じ」というのは朝鮮からの鉄の徴収という部分だ。

>>58
「倭の5王」は群雄割拠とか言う問題じゃなくて、「邪馬台国」としての冊封でないということ。
恐らく大和朝廷の飛躍であせる各集落が生き残りをかけて中国皇帝にしっぽふったのだろう。
天皇は朝鮮や中国からの亡命者を手厚く迎えて臣下にしている。技術はそれからだろう。
大和朝廷は王朝を交代していない。何度も言うが、日本神話は大和朝廷のもの。
日本の歴史書に出てくるのは大和朝廷のみ。魏志倭人伝に出てくるような働きをした
勢力・国は、類似も掲載されていない。第一、日本を統一してもない邪馬台国に王朝も交代もないだろう。

>>59
朝鮮・中国はともに鉄をかたに流して削るだけの刀剣だから鉄を徴収しただけだろうね。
踏鞴製法は日本の独自開発だと思う。その日本が仲良くした朝鮮である百済は今朝鮮にはないしね
61 匿名 (10/12/25(土)08:34:38 ID:2wOODHy8c) 
>ない。何度も言うけど矛盾が多すぎて現在ではありえない
矛盾って何?何度もって言ってるけど聖徳太子のときの対応言ってるだけじゃないの。
中国側が隋以降別民族に支配民族が変わったてのは無視なの?
稲荷山鉄剣やマキムクでの発掘結果も無視?
それ踏まえたうえで場所的にマキムクが邪馬台国なら上記の画像の通りこんな狭い範囲で群雄割拠するわけ無いんだから
やまたいこく=やまとで大和朝廷の母体でしょって話なんだけど。
日本書紀なんて最初の神武東征からしてヤマトのイワレに宮を置いた天武天皇の壬申の乱の正当化のための政治的プロパガンダでしょ。
直接の祖である継体天皇以前があいまいに書かれていても何の不思議も無いよ。
鉄の問題だけど半島の南部はやはり倭の勢力圏だろ
三韓征伐って実際にあったの?画像61
62 匿名 (10/12/25(土)21:16:04 ID:3v/P7jRW.) 
半島南部は倭の勢力圏で間違いないよ。
倭は任那に軍事拠点を置いていた。

高句麗の騎兵が南下するたびに倭の弓兵が出向いて百済、伽耶の鉾兵とともに
高句麗、新羅から防御をしている。倭は後に騎兵を組織するようになるが
それが白村江の戦いまでつづいている。

つまり、すくなくとも古墳時代中期より後の大和朝廷となる勢力が百済と通じ
半島を勢力下に置き続けていたことになる。

邪馬台国の服属国ではない狗奴国は東海に比定されているが、遅くとも古墳時代後期には
大和朝廷にとり込まれ、騎兵の養成を行って、大和朝廷の主力となっていく。
63 匿名 (10/12/27(月)03:00:20 ID:F8snqaCTc) 
>>61
「聖徳太子のときの対応」がいまいち分からないけど、
邪馬台国は魏志倭人伝にしか登場しない。そして日本の歴史書は記紀。
邪馬台国を日本だとするには魏志倭人伝の内容と類似、少しでもかすれてるものが
記紀になければならない。内容少し違うけどそういう部分だろうなという部分が必要。
特に卑弥呼や台与が「女王」しかも連続女王となっているため、大和朝廷とは大きく異なる。
女帝誕生はもっと後だ。中国と外交していたのだからそれらしい記述がなければならない。
それら一切なく、記紀にある中国との外交は「日出る所〜」が最初。
邪馬台国としての外交ではない。大和朝廷の母体はありえない。
もし母体なら魏志倭人伝にある外交を功績として自分の歴史書に記述する。
任那日本府は邪馬台国や諸外国と戦うために大和朝廷が百済と軍事同盟した結果の駐留地だろう。

魏志倭人伝で分かることは、日本列島に邪馬台国なる国があったということ。
それが後の日本(大和朝廷)の中心になったか、あるいは除外・消滅・併合されたかは
大和朝廷の歴史書と比べるしか方法がない。
女王が中国の外臣となり、中国の属国となった国が母体となったならば、
歴史書も後の外交もあんな形にはならない。あいまいに書かれていても」とあるが、
あいまいでも書かれていれば分かる。しかし、あいまいにでも書かれていないのが現実。
とにかく邪馬台国が母体だとするならば中国皇帝への冊封ではなくとも
対応(外交)ぐらいは書かれてないと始まらない。

もっと言えば、狗奴国がその大和朝廷で、東遷説というのがある。
邪馬台国による中国への朝貢が途絶えてから、広開土王碑の件があり、倭の5王がある。
大和が朝鮮の鉄で勢力を拡大し、邪馬台国をも倒し、邪馬台国に服従していた
諸国を攻めるにあたって、その諸5国が中国に命乞いに行った、とすれば辻褄合うんだよね。
64 匿名 (10/12/27(月)06:53:48 ID:DMCiHQKfY) 
【広開土王碑】より
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳> 
そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
三韓征伐って実際にあったの?画像64
65 匿名 (10/12/27(月)07:36:31 ID:ak5Q.DQwE) 
>>63
>中国と外交していたのだからそれらしい記述がなければならない。
>それら一切なく、記紀にある中国との外交は「日出る所〜」が最初。
>邪馬台国としての外交ではない。大和朝廷の母体はありえない。
>もし母体なら魏志倭人伝にある外交を功績として自分の歴史書に記述する。

日本書紀にちゃんと記述されているが。

巻第九 神功皇后

三十九年。是年、太歳、己未。
魏志に伝はく、明帝の景初三年の六月、倭の女王、大夫難斗米等を遣して、郡に詣りて、
天子に詣らむことを求めて朝献す。太守揄ト、吏を遣して将て送りて、京都に詣らしむ。

四十年。
魏志に伝はく、正始の元年に、建忠校尉梯携等を遣して、詔書印綬を奉りて、倭国に
詣らしむ。

四十三年。
魏志に伝はく、正始の四年、倭王、復使大夫伊声者掖耶約等八人を遣して上献す。
66 匿名 (10/12/27(月)10:55:23 ID:F8snqaCTc) 
>>65
それは「我々がこれをした」という記述じゃなくて
「魏志倭人伝で女王の朝貢という記述がある」という引用紹介である。
即ち、日本書紀に書いてあるんじゃなくて、魏志倭人伝に書いてあることを
日本書紀が引用しただけのこと。自分たちがやった功績なら
そもそも引用などしなくても「我々がこれをやった」でいいんだよね。

恐らく日本書紀を編纂した人も、卑弥呼のその行動も神功皇后の功績に
したかったのではないだろうか。無論これは憶測で、繰り返すが、日本書紀のは
「魏志倭人伝という書物で倭の女王が朝貢したって書いてあるんだよね」ぐらいの意味しかない。
この「女王」が神功皇后だとも書いてないし、大和朝廷の者だとも書いてない。

そして、その時代卑弥呼は既に死んでいて、台与の時代。
2連続女王の邪馬台国と、そうでない大和朝廷。仮に神功皇后を卑弥呼としても
台与としても連続女王の片方が誰か、説明がつかない。
また、神功皇后と卑弥呼では全く経歴が違いすぎる。
卑弥呼は生涯独身であり、対中外交、倭国内の紛争と詳細に記載されている。
対して神功皇后は生涯独身ではなく子も産んでおり、朝鮮出兵がある。
67 匿名 (10/12/27(月)15:15:51 ID:ak5Q.DQwE) 
なにを訳の分からないことを。

日本書紀は様々な書物からの引用が明記されており、当該記事も魏志よりの引用として
日本書紀の内容を構成するものである。編者は同一人物ではないとわかっていながら
他に適当な項がないので神功皇后の時代の事績であろうとして記述している。
継続性のない他国の歴史なら国史に記述されるわけがない。


また景初三年は魏志倭人伝の
>景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。
つまり、卑弥呼のものであり、台与の時代ではない。
日本書紀で正しく景初三年と改められているのは、複数の資料検討が行われたことを示唆する。
68 匿名 (10/12/28(火)02:33:42 ID:CsEO6T7Vw) 
他国の歴史と自らの功績は違う。
自分たちの功績なら、引用せずに「○年○月になんたら皇后が中国に〜」って書く。
「魏志倭人伝に倭(現在は自分たちの領地)の女王が朝貢したという記述がある」という
引用紹介だけにすぎず、それが自分たちだという記述はない。
仮に記述があったとしても、魏志倭人伝と史実(日本の歴史)では全く違うので、
同一とするのは不可能。卑弥呼の死というのも、65にある引用文上で、
2代に渡って女王が交代しているということ。神功皇后一人の経歴(功績)にしたいわりに、
あからさまに女王交代がなさえている時、またがったときの引用文ということ。
繰り返すけど、魏志倭人伝の引用文に過ぎないから何の答えもでない。
矛盾がありすぎて、どう考えても邪馬台国は日本の母体ではない。
ちなみに、卑弥呼の死というのも、邪馬台国が狗奴国との紛争を報告した時の記述。
邪馬台国と狗奴国、どちらが勝ってもおかしくない。
邪馬台国が勝って日本の母体となったか、狗奴国が勝って日本の母体となったか、
それは今では知るすべがない。邪馬台国が母体ならその後の中国外交・朝鮮外交も態度が違うだろう。

そもそも魏志倭人伝に出た国がその後順調に日本列島を支配したというのは
証拠もないし、矛盾が多いのだ。邪馬台国に反発した勢力の台頭もありえないことでなく、
むしろそちらのほうがずっと辻褄が合う。魏志倭人伝にもあるように、複数の国が乱立してた
日本で、たまたま中国の属国になった邪馬台国がその後日本となるのは多くの矛盾・疑問がある。
諸国に勝って統一したならば、その功績を天子様に報告する。が、現実は真逆で、
外交は途絶え、朝鮮の南部は日本列島の勢力に駐留されたと朝鮮は天子に泣きつき、日本列島の5王は
祖国の危機を天子に訴え、その後は「日出る所の天子」。全部邪馬台国だったとしてなぜそうなる。
69 匿名 (11/01/07(金)18:18:07 ID:ExcaGRjSw) 
「わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化
が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である
「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)ところが、日本の学者が
「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶
(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、
韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。

これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く
見るのではありませんか」という、身の程を知らぬ質問をした。

そしたら、L教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」
とおっしゃった。

「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、
三国文化を運んでいったようになっている。しかし、韓国の中・高等学校
では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、
ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを
助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」
に接して戸惑うのも無理はない。

          高麗大学教授 金鉉球
                      鄭大均 「日本のイメージ」より
70 匿名 (11/01/07(金)20:41:13 ID:s09CuLFPI) 
もともと半島に倭人も住んでたんだよな?
71 匿名 (11/01/07(金)22:27:37 ID:Fvxe/mX0U) 
三韓征伐〜任那滅亡までの間はな。しかし、例えばカラコ(韓子)と
言う場合は必ず倭人男と現地人の半島女に出来た合いの子を指すこと
からしても、半島南部に居住していた倭人は単身赴任の武官や外交官って
感じだろ。
72 匿名 (11/01/08(土)01:50:01 ID:Ge16/jl2k) 
朝鮮半島にて、日本と仲が良かったのは百済。対して新羅は憎き敵。
百済は後に日本に亡命して、日本に骨を埋める。つまり簡単に言うと百済は日本。
百済を追い出した新羅が高句麗をも倒し、ここで初めて朝鮮半島が統一される。
(こうやって、日本の敵だった新羅が唯一の朝鮮となったことで、日本は
中国との外交で朝鮮半島を経由できず、直接中国ルートを画策する)
その後、高句麗の末裔を自称する輩によるクーデターで新羅は滅亡し、
高麗が誕生し、その高麗の軍人がまたクーデターを起こして李氏朝鮮に・・・

と、“昔の日本と朝鮮は仲が良かった”というのは嘘。
その仲良かった朝鮮と今の朝鮮につながりはない。
73 匿名 (11/01/08(土)11:20:52 ID:@Ts4I/Yj.) 
倭人という語がそもそも学術的でない
74 匿名 (11/01/08(土)11:28:00 ID:@Ts4I/Yj.) 
邪馬台国とはヤマト国、つまり日本を指す音訳だ。
『後漢書』や『魏志』の東夷伝の記述は、
当時日本と大陸との間に交流があったという証拠になるが、
その記述にはそれ以上の価値はない。
75 匿名 (11/01/08(土)12:25:33 ID:Ge16/jl2k) 
日本と言っても今の大和朝廷を基とする「日本」ではない。
邪馬台国は日本列島に乱立していた国(集落)の一つ。

元や清等の帝国も、中華民国や中共等と共和国も、
まったく政体や支配層が違っても「中国」なのと変わらない。
76 匿名 (11/01/08(土)12:59:57 ID:L2bLiL3tM) 
>>71
魏志倭人伝の狗邪韓国が倭人の国になってるけど
この時代(三韓征伐や任那以前)に倭人は住んでたのかなと考えたんだが…
単身赴任の武官や外交官だったのかな?
77 匿名 (11/01/08(土)22:15:41 ID:oHORR1gAs) 
天皇、~に對へまつりて曰はく、「朕、周望すに、海のみ有りて國無し。
豈、大虚に國有らめや。誰ぞの~ぞ徒に朕を誘くや。復た、我が皇祖、
諸天皇等、盡に~祇を祭りたまふ。豈、遺れる~有さむや」
【仲哀天皇八年(己卯一九九)九月己卯(五)】

三韓征伐時の仲哀天皇がここまで言い切る描写が出てるし、大八島国の範囲から
考えても、朝鮮半島南部の倭人はいわゆる三韓征伐として集約記録されている
軍事進出の後に現れた存在だと思う。民間レベルで多少の人的交流はあっただろうけど。
三韓征伐って実際にあったの?画像77
78 匿名 (11/01/09(日)10:03:04 ID:cFX4hj9UE) 
狗邪韓国の時代の日本列島は小国(集落)が乱立しているからな。
その内のどの集落の支配地域だったか知らんが、
どう考えても朝鮮半島と日本列島の間での人の行き来などあって当然。
79 匿名 (11/02/17(木)20:37:42 ID:pGHY5DShk) 

『後漢書』東夷列 弁辰
 其国近倭、故頗有文身者。
(其の国は倭に近く、身体に刺青をした者が頗る多い)


『北史』百済傳
其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中国人。
(そこの人(百済人)は新羅、高句麗、倭等が混雑しており、中国人もいる。)


『南史』 百済傳
其国近倭、頗有文身者。
(其の国は倭に近く、身体に刺青を施す者が頗る多い。)

『隋書百済傳』
其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中国人。
(其の人達は新羅人、高句麗人、倭人等が混雑しており、また中国人もいる。)
80 匿名 (11/11/19(土)06:38:28 ID:YQDG/d1MM) 
age
81 匿名 (11/11/19(土)07:49:46 ID:Iua0NLct6) 
これからは、二韓征伐か第二次朝鮮出兵だよ。
鮮人に舐められっぱなしじゃいかんよ。
82 匿名 (11/11/19(土)08:02:43 ID:VPQ4A5mVI) 
>>81
おまえさまのような時代錯誤がいるから舐められるんだろうよ(笑)
時の権力者の征服欲の行動じゃないの。それを今に発動してかっこいいとおもってんのかね(笑)
83 匿名 (11/11/19(土)08:07:32 ID:YQDG/d1MM) 
竹島侵略した李承晩をディスるとはなかなかのツワモノだな
84 匿名 (11/12/05(月)11:11:18 ID:zC4tjDPkw) 
三韓征伐って実際にあったの?画像84
85 匿名 (11/12/09(金)14:49:45 ID:iDLPPYePE) 
三韓征伐って実際にあったの?画像85
86 匿名 (11/12/19(月)11:09:13 ID:YedtVcNu2) 

【国際】日韓歴史研究再開へ 首脳会談で合意見通し

 日韓両政府の合意に基づく両国学識者による「日韓歴史共同研究委員会」の活動再開が、十八日に
京都で開かれる日韓首脳会談で合意する見通しとなった。日韓外交関係者が明らかにした。両政府に
は、旧日本軍の従軍慰安婦問題などの外交懸案の沈静化を狙う思惑があるとみられる。 

 同委員会は歴史教科書問題を契機として二〇〇一年に日韓首脳間で合意し、〇二年に第一期委員
会が発足。第二期の委員会が昨年三月に報告書を公開した。

 関係者によれば、互いの歴史認識への理解を深める狙いと裏腹に、双方が「日本人の無反省が問
題」「韓国側は感情論」と一部で批判するに至り、第三期研究に関する合意は見送られていた。

 首脳会談で合意する見通しの第三期委員会の設置に対しては、「成果が見込めないと考える日本側
の研究者が積極的ではなかった」(韓国政府関係者)とされる。しかし、結果よりも研究や議論を続ける
ことに意義があるとして再開合意に至ったという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011121802000034.html
87 匿名 (17/07/20(木)19:36:48 ID:Ok1V/f/BE) 
>>1
>>11みるとあったような気がするけどなー
88 匿名 (17/07/30(日)22:45:24 ID:H3/d0I9G6) 
89 匿名 (17/09/09(土)11:10:22 ID:F/.Z02xQ6) 
むしろあったかなかったかを
そんな疑問視するような話かな
ハリコのとらアンテナで面白いブログ記事がすぐ見つかります
独身のおっさんはこれ見てどう思う・・・???(※画像あり)
NHK、ネット受信料見送りへ
福岡の高校生さん、川遊びの最中に目があった仏像を引き揚げてしまう…
安室、宇多田、浜崎以降の歌姫wwwwwww
思春期に恋愛経験なかった奴はその後の人生も悲惨らしい
 | 
閉じるTOP歴史板 > このページ
名前: sage: 削除パス:

画像 YouTube
 画像ファイル 対応形式(jpg / gif / png) 最大データ量 512 KB



書込む前に利用規約をお読み下さい
今見てる人→人    多重債務 harikonotora.net